2009年07月05日

春日武彦「精神科医は腹の底で何を考えているか」幻冬舎新書

精神科とか心療内科に思うところがあって手に取った一冊。前のが、少し物足りないということもあって、前評判としてもハードであったこれを選んだもの。医師のものでこれほど面白いと思った本も珍しい。途中で止められなくなったのも久しぶりだった

少し、中島義道的なところを認める。自分の判断が正しいし、それがいくらドライな物言いであっても正直に吐露し、ときにそのとおりに行動する。それが多くの人のヒューマニズムからは認められないが、どうも自分の判断が正しいし、うすうす他の人もそう考えているのだろうという感じ。建前どおりに動いてホンネを隠すことを嫌うような

生姜焼定食の話はウケた

金銭関係を大事にし、患者との間の一線を画す。その状態でなお、その一線を越えてくる患者への対処方法、とくに台詞が素晴らしい、し、面白い。かなり長いものだがメモした

中島らもの本は何冊か読んだことがあるが、躁うつ病であったとは知らなかった。意図せずして中島らもの当時のことについて知ることができた。それも医療との悪い関係について

自分も、自由な発言をするためにその基本的知識を持つことを証明する資格を持つことがある

芸術的な処方というものも面白かった。今年の花粉症からは、新しい耳鼻科医に診てもらっているのだが、その処方もそれっぽい

p6.つまらぬ発言をしても、医師なる立ち位置ゆえに見逃してもらえる。コメントを求められ、原稿を求められる。粗略に扱われることはない。つまり、振る舞いようによっては、精神科医という仕事はまことに美味なのである
p17.そして彼には強い副作用が出現していた。失禁やふらつき、目の調節障害などが見られ、ことに目については自力では原稿用紙の升目を埋められず、口述筆記をしていたという。しかも服薬をやめたら視力を取り戻せたと本人は語っている。こうなると、担当医の責任を問いたくなる。診察せずに薬をだらだらと出し続け、実際に深刻な副作用が生じている。これはマズイ
p20.嫌な顔をされそうだったのでそれ以上追及はしなかったが、思い込みだか迷信だか名人芸だか分からない処方というのは確かにあるし、それが効果的なこともある。だから処方箋を見ても、複雑なりにどこかエレガントな処方というのはある。いわゆる著名な、功成り名遂げたベテランドクターの処方をときおり目にする機会があるが、まことに芸術的処方もあれば、魔女のスープみたいな処方だと言いたくなるものもある
p21.で、わたしとしては次第に名誉教授の言いそうな台詞であるとか、こういった場合にはこんな処方をするだろうと見当がついてくる。そこが面白いわけであるが、よほどシリアスな訴えでない限り、いつも同じマイナートランキライザーしか出さないことに気が付いた。ある意味ではまったく芸がない。同じ特定の薬を(医師によっては、マイナートランキライザーをひどく細かく使い分ける。ちょうど岩塩を産地別に使い分けて料理に使用するように)、ただし自信たっぷりな態度で処方する。「うん、あなたはとても良い薬がありますよ。今日はそれを出しておきましょう」と。そしてたぶんその自信に満ちた態度と名誉教授というステータスが作用するのであろう、誰もがしっかりと改善するのであった
p23.クリニックを開いている友人は、診察室の引き出しに、実際に処方する薬剤の実物を仕舞っていて、処方をする際にはいちいちその実物を見せながら説明をしていて、なるほどと思わせられた
p29.鑑定書で、薬剤の影響や、むしろリタリンを処方した医師の責任こそ問われるべきだと述べたが結局は懲役刑となり、しかしそれでも求刑よりはかなり軽くなっていた。もっとも、医師への責任は問われず仕舞いであったが。こうなるとヤブ医者というよりは、犯罪の黒幕みたいなものである
p33.カウンセリングの最中には、患者と治療者とが異性同士の場合、患者が治療者へ恋愛感情に近い気持ちを抱くことがある。これは治療者が魅力的だからそうなるといった話ではなく、カウンセリングという構図そのものがそうした錯覚をもたらしやすい。そんな場合、スタート時点に」おいて金銭を介した契約関係が欠落していると、「けじめ」がつかなくなる危険が大きい。そして結局は患者が痛手を負うことになるだろう。そういった生臭い話にはならなくとも、無料ゆえに責任感とか義務とか礼節といった因子は曖昧になりやすい。心を扱うに際して、無料という要素は予想以上の歪みをもたらす
p35.「今、こうしてあなたを説き伏せられるとは思っていません。だけどね、直感的にね、すぐに死ぬのはまずい気がしますね。私の家の電話番号を突き止めるだけの能力とエネルギーがあるんだから、あなたは死ぬ必要なんかないんです。次の外来まで、死ぬことは棚上げにしておいてください。あなたに必要なのは『即、実行』のノリではなくて、ためらったり、おろおろと迷うことです。いきなり自殺しちゃったら、格好つけ過ぎですよ。もうたっぷり悩んだとおっしゃるかもしれないけれど、次の外来まで、とにかく自殺は棚上げにしましょう。そうして、外来でもう一度一緒に考えましょう。それが宿題です。よろしいですか。外来でお待ちしていますからね」と、(飄々とした口調で)言って電話を切ってしまうだろう。これは医療者として適切な態度なのか
p37.わざわざ死ぬと言ってくる人には生への未練が強いことは確かだと思う。ましてや、わざわざわたしの電話番号を突き止めてまで自殺のことを告げてくるのには、本人なりに当方のリアクションに期待するものがあるのだろう。おそらく赤ひげ先生的に対応してもらい、そのことによって「ああ、わたしは大切にされている」「世の中、捨てたもんじゃない」と思いたいのだろう。ところが事態が期待通りに運んだ場合、おかげでその患者はそれで立ち直っていくかといえば、そう都合良くはいかない。むしろ味を占め、ちょっとした挫折に際してもたちまち同じパターンを持ち出して「心の応急手当て」を望むことになるだろう。進歩がないどころか、迷惑な人間になってしまうだけである
p40.推理小説の大団円のように、ケースが劇的に解決することなど滅多にない。大概は「何となく」「いつの間にか」である。それはカウンセリングが主体であろうと、薬物療法が主体であろうと似たようなものである
p47.ときおり、驚くばかりの包容力を示すドクターを見かけることがある(大概そうした医師はなぜか早死にしてしまう)
p56.カルテには「患者との約束はきちんと守れ、それで医者か?」とメモを挟んでおいてやった。それを見たG医師は、自分のすっぽかし行為よりは、目下の者(わたしのことである)が失礼なことを言いやがってといった反応しか出来なかった。で、どうしたかというと教授に言いつけに行ったのである。すると「お前のほうが悪い」と指摘され、しぶしぶわたしへ形だけの謝罪に来たのであった。情けない。最低の人間である。まあそれはそれとして、ミスターG医師は「患者は美人に限るねえ」としみじみ言い放ったのでたまげたことがある。美女と差し向かいで喋れるうえに、頼りにされる。こりゃ男冥利に尽きるといった意味のことを平然と語るのであった。脳みそ腐ってないか、あんた? 病院なのであり、医者を選べないからこそお前のところに来ただけだろう
p71.母への説得はいくら試みても無駄だし、こちらとしてもつくづく虚しくなってくる。母が気持ちを改めるか寿命が尽きるまで、息子にかなりの不都合を強いなければならないなんて、担当医としてはあまりにも寝覚めが悪い。率直なところ、そんなことを延々と繰り返していると、自己嫌悪に陥ってくる。そこで母親に、「あなたが息子さんの健康管理に協力してくれない以上は、こちらとしても責任を持てません。あなたもわたしのことを小うるさくて人情の分からぬ奴と思っていらっしゃるでしょうから、いっそ医療機関を変えてはいかがでしょうか」と提案してみた
p86.例えば抑うつ気分を訴えている患者がいたとする。このとき、「うつ」な心にばかり拘泥し、うつ→うつ病、などと判断するのは素人である。精神科の疾患でうつを呈することのないのは躁病だけである(しかも躁病の多くは、時間の推移とともにうつを示す)。うつ病には、いわば「うつ病らしさ」とでも言うべきパターンがある。それは当人の性格や人生の営み方、ストレスへの対処の仕方、最近の生活状況、「うつ」の生じた経緯やそれに伴う心身の変化、「うつ」とはいうもののそれは具体的にどのような精神状態であるのか、周囲の人たちとの関係性、当人は今の自分をどのように評価しているのか等々の情報を通して炙り出されてくるイメージであり、それをいかに見抜くかが診断の「腕の見せどころ」ということになる
p88.こんなことを記すと、反感を覚える読者も多いのではないだろうか。人の個性は千差万別、それなのに精神の壊れ方がたった百種類と決めつけるのはずいぶん乱暴な話である、と。わたしも同じように考えていた時期がある。ところが実際に臨床に携わり、数多くの症例と接してくると、やはり百程度かもしれないといった実感が湧いてくる
p106.心を病んだ人は、決して支離滅裂なわけではない。逆に、きわめて論理的なことのほうが多いことはぜひとも強調しておきたい。論理的であることとそれが真実であること、ないしは現実にマッチすることとは別な話である
p111.苦肉の策として、腕時計を右腕に巻いておけば、カルテにメモでもするようなさりげない仕草でそっと時間を確かめられるのではないかと考えたのであった。ただし実際にはあまりスムーズには文字盤へ目を向けられない。むしろわたし自身の気休めのために、いつの間にか腕時計を右にする習慣になってしまっただけのようである
p119.今になって思い返すと、あそこの病院はいくぶん新興宗教じみた雰囲気に包まれていた。院長が親代わり、患者は子どもたちといったヒエラルキーがあり、その線で真剣に医療が行われていた。わたしは自分より年上の患者たちの「兄貴分」みたいな立場を医師として割り当てられたのであった。運動会や学芸会みたいな行事が催されると、最後に院長以下医師が全員、代わる代わる壇上に登って患者一同へ「講評」を言わなければならない。重々しく、諭すように講評することを求められるのであった。わたしはこれが生理的なレベルでもう嫌でたまらず、あれこれ理由をつけてはその場に居合わせないようにしていた。いい歳をしてそんな姑息なことをしている自分に情けなくなった。もし自分が患者となってあそこの病院へ入院したら、さぞかしげんなりするだろうなと思わずにはいられなかった。医者に威張られる筋合いなどないし、入院費を払いつつも院歌を強制させられるなんて冗談ではない。あの父性愛的な押し付けがましさというか威圧感は、心の根っこの部分を嫌な具合に揺さぶってくる。想像するだけで気分が悪くなってくる。きっと脱走というか無断離院を図るに違いない。信念に基づいたコントローラーである院長だったが、当初は彼に腹を立てていたわたしは、最終的には和解をしたのであった。彼が純粋かつ不器用な人であることが判明したからである。短歌を詠み、時には患者への気持ちとして詠んだその短歌をカルテへ万年筆で記していたこともあった。自分にオーラがあると思い違いをするような俗物ではあったが、明治生まれの気骨みたいなものを感じさせた。患者としてのわたしが彼に身も心も委ねられるような心性の持ち主だったとしたら、さぞや人生は楽になるだろうと夢想したこともあった。院長が書いた随筆をまとめて特別に装丁した書物を進呈したことがあったが、当時のわたしとしては最大限の賛辞だったのである。ただしその特装本の費用は病院に出してもらったのであるけれど
p125.「もちろん普段の僕ですよ。いや薬を止めたぶん、頭がすっきりしてるかも」(わたしは身を前に乗り出して、囁くように喋った)「いや、いつもの君とはちょっと違うよ。そこが心配なんだ。もう薬なんて飲まなくてOKって言えれば君にも喜んでもらえることは分かっているよ。だけどそんなことを言ったら、君を見捨てることになってしまう。だから延々とこうして粘っているんだよ」「…………」「あのね、今だったら短期間で本来の調子に戻れるんだ」
p126.ここに記したやり取りの中には、口にする言葉とは裏腹にどこか馴れ合いめいた雰囲気が見え隠れしていなかっただろうか。結末は分かっているなりに、S君は儀式のようにあれこれと自己主張してみたことがお分かりいただけただろうか。こうしたプロセスを経なければ彼としては自尊心を主張できず、立つ瀬がなくなってしまう。そのアタ栄を了解したうえで、あえてわたしがいささか強引な挙に出た。そうして彼自身が感じ不安にも思っている「再燃に伴う違和感」に対処したことを分かっていただけたろうか。ここで言いたいことは、医者と患者との関係には優しさとかコントロール願望とかいろいろな要素が関与するにせよ、少なくとも単純なパワーゲームだけが展開されるわけではないということである
p129.あんたが自分の精神は正常そのものだとおっしゃるのは分かりました。しかしそれはそれとして、こうして医療機関につれて来られた以上は身体について診察をさせていただきたい。まずは血圧と体温測定、それから聴診をさせていただきたいのでそこの診察台に横になってシャツを捲りあげてみて下さい。そのように言うと、意外にもその指示におとなしく従ってくれることが多い。精神が異常と言われるのは不愉快だし診察されること自体が侮辱に感じられるが、身体を診てもらうぶんには小学校以来そうした経験があるし、一応チェックしてもらうに「やぶさかではない」。そこで身体を診ながら、あなたは精神的に調子を崩しているから注射を受けて入院したほうがよいと思うと告げると、かなりスムーズに事態が進んでいくのである。この事実から何が分かるだろうか。精神科に対する抵抗感や、自分が精神的に病気であると断定されることへの恐れはもちろんあるだろう。他方、白衣を着た医師に身体を診てもらうことにはむしろ安心感が伴い、幻覚や妄想に伴う違和感や不安感も身体の診察という文脈で語られるぶんには素直に認められる
p135.何よりも分からないのは、わたしの治療方法に賛成しかねるのならば、なぜわざわざ再診に来たのかということなのである。屈託のない表情のまま、たんに「薬は副作用が怖いと思いまして」と口にするだけなのである。どうしましょうとか、困ったとか、こうしてくれとか、そんなふうに彼なりの治療に対する迷いや途方に暮れた感情が示されない。まるで他人事のように、飲まなかったと語るのみ。結局のところ、彼はなにも考えていない。その場の感情や思いつきだけで行動しているらしい。すると、そんな人でも神経症や不眠症になるのだろうかとわたしは自分の医学知識に自信が持てなくなってしまうし、また彼がクビにもならずにサラリーマンを続けていられることを不可解に思わずにはいられない
p142.基本的に他人の価値観などどうでも構わないし、人間の考えることや行うことには「何でもあり」と思うのが当方のスタンスである。しかし率直に言って、たとえば本をまったく読まない人生であるとか、生き甲斐がカラオケと言い切れる人生がわたしにはぴんとこない。異常な物語は山ほど頭の中に蓄えられているのに、ありがちな物語のストックはまことに少ない。牛丼一杯の値段や、パチンコをする楽しさや、行列をしてでもテレビで紹介されたスイーツを入手しようという価値観や、海外旅行に行ったら職場の同僚全員に土産を買って帰らなければならないと考える「常識」や、マンションのエレベーターでたまたま一緒になった住人から挨拶をされてもそれを平然と無視することを不作法と思わぬような感性や、そういったことをも含めてとにかくわたしは世の中に流布している物語を十分に把握できていない。これは不健全な状態ではないのか
p150.妄想は敗北の物語であると同時に、患者に立つ瀬を与えるという意味では勝利の物語でもある。となれば、精神科医は治療と称して闇雲に患者から妄想を取り上げてもよいのかといった疑問が生じても不思議ではあるまい。患者が窮余の策として縋っている「物語」を、一方的に奪い去ることは許されるのか。現実には、妄想だけを患者の頭の中から抜き取ることはできない。薬物の作用は、まずは病的な不安感や焦燥感を抑え、あえて妄想という物語を必要としなくなるように働くようである。それは理に適っているであろう。ただし落ち着きを取り戻し、妄想も消え失せた患者がそのまま以前の元気な姿に戻るかというと、なかなか微妙なものがある。どうも気が抜けてしまったような、どこか精神が弛緩してしまったような状態が持続する。これを陰性症状などと称するが、素朴な印象としては、分かりやすい物語を失ってしまった後の気が抜けてしまった状態を彷彿させるのである。物語はエネルギーそのものであるといったイメージを抱かずにはいられない
p155.うんと下世話な言い方をするならば、「いつも難しい精神分析の本や精神病理の論文ばかり読んでいるわけではなくて、ほら、こんなふうにサブカルにも詳しいんですよ!」と彼らが得意げな表情を浮かべているところが、ありありと想像されたという次第なのである。外国語の文献を山ほど引用して頭の良さをアピールするといったスタイルではなくて、サブカル経由で意外性を狙うところがいかにも精神科医らしい屈折だなあと思えたのである
p170.よくもまあぬけぬけと電波監理局だのライターだのと言えたものである。この身分詐称についてあげつらうことは簡単である。だが、「廉直原理主義」がベストとは思えないし、当人とわたしとには妄想というキッチュな舞台で一緒に配役を演じるっといった、どこか親しみのある感触が存在していたことを特記しておくべきだろう。騙すとか嘘を吐くといった剣呑な脈絡ではなく、互いに「やれやれ、生きていくのも楽じゃないねえ」とぼやきつつ微妙に心を通わせながら茶番を行っていた気がしてならない。妄想は本人にとってきわめてシリアスでありつつも、ちゃんと「分かって」いる相手となら、共に茶番劇を演じることもやぶさかでない――そんな二重性があって、だからこそ当人はわたしに身分証明書を出せとか名刺を寄こせなどとは迫らなかったし、奇妙な余裕さえ見え隠れさせていたのだった。こうしたデリケートな部分こそが、狂気の本質にかかわってくる。切迫しつつも馴れ合いを演じられるような一見矛盾した部分に、人間の心の奥深さがある。嘘→倫理的に問題!といった粗雑な思考では、到底、彼らとは対峙できないのである
p174.わざわざ書く必要もないことだが、我々の心はモノトーンではない。いっぺんに複数のことを感じたり考えたりするのは日常茶飯事だし、心の動きは大概において二重底である。矛盾した内容を感知したり、正反対の欲望を同時に抱いたりもする。それが普通なのであり、アンビバレントは我々にとってごく当たり前の状況である(それを無理に整合性を図ろうとすると、心は軋むことになる)。だから、数学のように冷徹な因果関係で精神を理解することなど乱暴極まりないことであり、さまざまな気持ちが並立していることを前提にアプローチを図るのが精神科領域の専門家ということになるだろう
p212.母はさすがに電磁波が原因とは思っていない。きちんと医者に診せるべきだと思う。けれどもそれを口にしたら、娘は怒り出すだろう。それが怖いし、娘だって娘なりに父を心配しているのである。ベストなのは娘も父も病院に行くことだろう。だがそうしたら二人とも入院ということになって、自分は一人ぼっちになってしまうかもしれない。それは不安だし、入院手続きの煩わしさや入院費や見舞いのことを考えただけで頭が混乱してくる。娘は父を念力で治すのだと毎日祈りを唱えている。そんな様子はいじらしくも映り、その懸命な姿は心の病が改善していく兆しかもしれない、いやきっとそうだ。ならば現状を荒立てずに、もうしばらく様子を見ていってもよいのではないかと。と、そんなことを考え、客観的に見たらかなり「やばい」状態なのに、母としては現状維持ということで自己正当化してしまう――これもまた不健全な形の安定、見せかけの安定、そして低値安定ということになるだろう。驚くべきことに人間は平然と現実から目を逸らし、事態がマイナス方向へと向かっていようとも「不幸慣れ」してしまえる存在なのである。こうした人にとって、たとえ建設的で前向きな方向であっても、とにかく変化そのものが不幸と同義になる。現状維持、悲惨なりに慣れ親しんだ状態に留まっていることこそが、心の平和に繋がるのである
p215.結局のところ、精神科医はこちらの(小市民的な)幸福の尊さを説くということになる。だが常識的には、そうしたタイプの幸福を青年のうちから追求するとしたら、それは若年寄とでも揶揄されるのではないか


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2009年06月28日

塚田紀史「『マルクスは生きている』を書いた不破哲三氏に聞く(Books & Trends)」週刊東洋経済2009.6.13

週刊東洋経済の懐の深さ。この号は、リクルートやYahoo!などの広告業の特集もおもしろいし、佐藤優の連載も吉野の話がおもしろかったし、野口悠紀雄のそれは何度もみたようなニフティサーブやモザイクなどの話だったけど、仕事術は見開きの2ページで人に示すのに格好だし、書評でも2件ほど読みたい本を見つけたし、いつもは評価しないアゴラ百景はアイドル写真集の発売イベントの話はおもしろかった。電力の鬼の晩年の住み処の写真もいい

そして、この記事。期待しないで読んだがおもしろかった。こういう歴史発展に対する興味がある。むかしヘーゲル全集を持っていたこともある

・「資本論」の中で、ヨーロッパの中世を知りたい人は日本に行ってみよ、ヨーロッパの歴史の本よりもよほどわかると書いてある。そこまで断言できるには相当知らなければできない。「大君の都」に、オールコックがまるで日本はヨーロッパ中世そのもの、農民の絞り方も封建的な家臣の配列の仕方もそうだと書く。これは不思議な話だ。ヨーロッパの封建制は、共産制を残していた部族制度のゲルマンとローマ文化が合流してできたもの。日本はそんな歴史なしに源平から南北朝、室町、戦国と、時間はかかっているが、全然違った道をたどっている。しかし、できた江戸の封建制はイギリスの公使からヨーロッパ中世と同じと見えるのだから、社会発展の法則はおもしろい


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2009年06月26日

堀田宗路「北斎を支えた最良の「薬」(今様大江戸暮らし)」日経ビジネス2009年6月22日号

北斎の病気と、それに打ち勝つ情熱。国境や人種、文化を超えて伝える力

・1827(文政10)年、67歳の時に北斎は中風になった。今でいう脳卒中である。この時、北斎は柚子をすりつぶして日本酒に溶かして飲む自家療法によって立ち直ったという。さすがにこの年、北斎の描く作品はなくなるが、翌年からは絵手本(絵画学習のための教習本)などが上梓されていく。間もなく70歳を超えて、北斎が描き始めたのが、彼の代表作「富嶽三十六景」。巻き上がり、覆い被さってくる、大きな波の向こうに雪を頂いた富士山が見える「神奈川沖浪裏」は同シリーズの最高傑作である。これを見たゴッホは驚嘆し、ドビュッシーは交響詩「海」を作曲している。驚くべきことに、こうした北斎芸術が完成を見たのは、中風直後の70歳以降なのである。北斎も言い切る。「七十歳前に描くところは実に取るに足るものなし」。すさまじいばかりの絵への執念である


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2009年06月22日

兵頭誠「自主独立、みずほに溶け込まない」日経ビジネス2009年6月22日号

経営統合するというのに、関係が保たれる理由が、その下の事業会社が別だからというのは、お粗末ではないか。これで東芝や日立が許すのであれば、その程度の取引関係か、または形式に騙されているだけだ

・合併は10年、20年先は分からないが、当面はない。こちらが東芝、損保ジャパンが日立製作所など、親密な取引先企業との関係も保たれる


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2009年06月21日

鈴木理生「東京の地理がわかる事典」日本実業出版社

じっくりと1ページ1ページ読み込んでしまう良書。本当かどうか分からないが、かなりマニアックな内容で、そのタイトルに偽りない、事典といって差し支えない濃さ。

現在の東京が海と半島だった時代から始まり、江戸に幕府を開いてからのめまぐるしい変化など、さまざまな切り口から丁寧に説明している。

江戸の火事は実は放火だったとか、銀座をキレイにするために火事が起きたのではないかとか、そういう陰謀めいた話も少し入っている

古いところも趣がある。前島の存在、日比谷の干拓、川をつくり、既存の川の流れを変え、街道をつくり、宿場をつくる。それぞれの街道で何が運ばれるか、そしてそれがどのように鉄道に取って代わられたのか。江戸の暮らしはどうだったか。八重洲の地下街、西新宿の地下通路

例えば、花小金井という地名がある。プレフィックスとして「花」っていかにもおかしいではないか。このヒントが徳川吉宗にあったりする。この本の中でも少し触れられている

東京に住んで、東京で仕事をするような、東京に縁のある人間が読むのがいい。自分の関係する場所の来歴がふと分かったりして面白い

p18.こうした官道の原形は、先住者や渡来人が踏み固めて形成された道だった。武蔵路は相模湾岸の高麗山ー平間ー当麻を経て、武蔵の多磨−狭山ー入間ー児玉で利根川を渡り、群馬ー吾妻ー浅間ー筑摩と東山道に通じる、いわば東国の「山の辺の道」である(すべてに「ま」がつく点に留意)
p27.徳川が関東の中心的なこの荘園を自領に抱え込み、しかもそれを隠すために、記録を徹底的に抹殺したのは、江戸前島を横領したからなのだ
p40.野川は水源も湧水で、その流路の左岸の湧水線も水源になっている川だ。このような川の流れ方は野川にかぎらず、武蔵野台地内の河川に共通してみられる。多摩地方ではこの湧水線を「ハケ」と呼ぶ。現在、このハケがよく観察できるのは都立野川公園だ
p42.上野の山は、浅草側から見ればたしかに山のように見えるが、実際には武蔵野台地に続いているから地理的には山ではない。山とは、周囲から独立的に突起する地形をいう。この定義からいうと、東京の平野部で山といえるのは、区部では待乳山(真土山=台東区浅草七、本龍院聖天宮)。市部では浅間山(府中市)と多摩湖・狭山湖を抱える狭山丘陵の三カ所くらいだろう。待乳山は、縄文後期の海進による波食で削り残された本郷台地の一部で、浅間山と狭山丘陵は古多摩川の扇状地の中で、川の氾濫から削り残された場所に富士・箱根の火山灰(関東ローム)が積もったところだ
p47.一直線に並ぶ三宝寺池、妙正寺池、善福寺池、井の頭池は、武蔵野台地の下の砂礫層を流れる地下水が、地表に現われてたまったもので、地下水流の「瀑布線」に沿ったものである。地下にある流れの「滝壺」がこれらの池ということができる
p58.明治政府は、その成立直後に首都を早々に江戸改め東京に決めた。これも、北海道の主権確保とその統治上、東京が当時の日本の地理的な中心にあることを意識したためであった
p60.元禄11(1698)年11月、最初の宿場である高井戸と日本橋との距離(約4里=16キロ)が遠すぎるという理由で、その中間の内藤家門前に宿場開設願いが出された。それが許可され、内藤新宿という宿駅ができ、江戸四宿のうちの一つとなった
p67.甲州道中は、五街道の中で公用交通や大名の通行が最も少なかった(高島・高遠・飯田のわずか3藩)。しかし産業道路としては重要で、信州・甲州をはじめ江戸近郊の農作物やさまざまな物資が、内藤新宿を通って江戸に運び込まれた
p68.こうした近世海運の成立には、江戸建設の「天下普請」が大きな関わりをもっている。はじめは家康の命を受けた諸大名が、さまざまな物資を領地から普請場所の江戸へ自営の船で輸送した航路だったが、のちにこれが「民営化」したのだ
p82.現在の千代田・中央区の範囲は、平均3年に1度くらいの割合で消失している。とにかく江戸は火事が多かった。そして、江戸の火事の記録を調べると、放火の疑いが強い火事が非常に多い。ある火事が鎮火した時刻に、無関係の場所に飛び火するような例もみられる
p84.江東地区は、江戸から大正まで、毎年のように洪水の被害を受けてきた。しかしこの地域の洪水の特徴は、徐々に水位が上がって浸水し、やがて水が引く形の洪水であり、なにもかも一挙に押し流す勢いの洪水ではなかった。そのためこの地区は「洪水常襲地帯」ではあったが、多くの家屋が自然堤防上にあったこと、縦横にはしる運河を利用する生活の中で、ふだんから舟を「マイカー」のように使っていたことなどから、よっぽどの大洪水でもない限り、決定的な被害を受けることは少なかった
p90.江戸入りした家康が江戸城の粗末さに目もくれず、最初にとりかかったのは運河の開削工事だった。そのうちの一つが、「道三堀」の工事だった。行徳は、当時の関東最大の製塩地で、道三堀と小名木川の開通によって、塩を安定して運搬できるようになった
p128.台場の工事を天下普請にできなかったことが幕府衰退の象徴であり、幕府直営(工事は民間請負)の工事で手持ちの現金の大半を使い果たし、その後の財政破綻の原因となった
p134.17世紀の過半を費やした江戸の建設に動員された全国の大名とその家臣団は、江戸に来るとすぐに野菜類の自給自足を始めた。そのため江戸は多種多様な野菜の消費とともに、その栽培技術の交流の場にもなった
p135.果物屋という商売は1年を通して果物が扱えず、夏は氷屋、冬は芋屋(焼イモ・ふかしイモ)を兼業するのが普通だった
p143.幕末から明治初期に工場制工業が成立すると、新政府が接収した旧幕府の直轄地や各大名の判定の物揚場に官営の工場が建てられ、水車を動力として利用した。とくに石神井川の場合は、流れが旧で水車の効率がよかったため、ここも軍用官営工場の動力源として利用され、北区赤羽地区に一大工場地帯と北区王子に製紙・印刷工場が建てられている
p14.明治11(1878)年の郡区町村編制法の施行により、新しい区名のつけかたの特徴は、@皇居を中心に時計回りに区画の順を定め、Aその区画名の半分は、旧江戸城の城門名を採用し、Bしかも新しい区の範囲は、その城門の外側一帯の地区だった。Cその他は道路幹線沿いの地名を選んだ
p148.三多摩の東京移管の最大の理由は、政府がきたるべき日清戦争にそなえて大幅な軍艦建造費の増額予算案を、帝国議会に通過させるためだった。当時の政治情勢は明治10年代から激しくなった自由民権運動の一つの成果である国会の開設があり、その後の藩閥政府と自由党の対立という状況が続いていた。当然、自由党は政府の軍備増強案についても大反対だった。その自由党の最大の拠点が、三多摩を中心とする地域だった
p159.明治13(1880)年に小笠原諸島の所管を東京府に移管した当時の島民は天保元(1830)年に漂着した欧系米人セーボリー一行の子孫が主で、父島に211人、母島に7人いた
p160.東京都内の市には東・武蔵といった方位や国名を示す文字をつけた市がある。これは戦後の復興期に都内の各地域で人口が急増した結果として、市制を施行する際、すでに国内に同じ名称の市がある場合には、前からある市に”敬意”を表して、その市からの方位を示す文字を頭につけることになっていたためにつけられた。これを「市制施行名称変更」といった
p166.連続した銀座の火事、迅速すぎる政府の対応、手厚い義援金の拠出などを考えると、これら一連の火事は「東京の玄関=新橋駅と皇居のあいだに位置する銀座の近代化のためだった」ともいえよう
p175.東京の苦行は、石神井川・神田川・古川・目黒川の流域および江戸前の海岸の官営工場を中核に、民間工場が集中して発展していった
p203.オリンピックは都市が招致・主催するという原則にもかかわらず、埼玉県(5施設)、神奈川県(4施設)、長野県(1施設)にも競技会場があてられた。まさにこのオリンピックは、千葉県を除く首都圏で関連施設が建設・整備され、「国家事業」として行われたのである
p209.昭和40年に淀橋浄水場が閉鎖され、跡地が整備されて昭和43年にまず新宿中央公園が完成し、11の街区が建設された。副都心全体の地所が低く下がっているのは、かつての浄水場の沈殿池の名残だ
p218.高崎線は、当時唯一の外貨獲得物資である生糸の生産地の中心地高崎と、輸出港横浜を結ぶ「シルクロード」の形成が目的だった
p222.常磐線にはまったく新しい役割が加わった。それは沿線の常磐炭鉱から産出された石炭を、東京の隅田川貨物駅に直送することで、現在の荒川区南千住4丁目を中心とする広大な駅構内には、貨物引込線ごとに運河が掘られ、貨車で運ばれてきた石炭は、そこで舟に積み替えられて、東京全市や京浜の工業地帯まで運ばれていった。いうならばこの貨物駅は、興隆期の東京の工業のエネルギーセンターだった
p224.世界の大都市では多くの場合、鉄道駅は都心に乗り入れずに、都市外縁にターミナル駅として配置されている。その理由は、煤煙・騒音・振動などが大きかった蒸気機関車時代特有のもので、現在、たいていは各ターミナル間は都心を通る地下鉄で結ばれている。東京の場合は、蒸気鉄道の導入後、わずかの間に電化技術が登場したため、東京駅に代表される中央停車場を中心に、電車鉄道網が比較的早く形成されていった
p228.中央線は、はじめ東京〜八王子間は旧甲州街道沿いに計画されたが、騒音や公害などが出るなどと街道の宿駅関係者の猛反対を受けたため、武蔵野の”無人の原野”に線路を施設することになった。これが現在の東中野〜立川間の約24キロに及ぶ一直線の線路だったが、軍部には大変に好評だったという
p246.市街地でなければサカとは呼ばれなかった。サカとは人が汗をかいて上り下りする「道」であって、近代の自動車の通行を主にした斜面はサカとは呼ばれなかった。その好例として、昭和になってからのことだが、関東大震災後の帝都復興事業の一環で新設された、現在の靖国通りの小川町交差点から坂を上がって聖橋に行く大道路は、完成以来約70年経った現時点まで、ついに「坂」と呼ばれないできた。この「坂」は、来るべき自動車時代を予想してつくられたものであったため、坂名がないのはいわば当然のことだったのである
p249.幕藩体制の確立過程で、江戸の町地は必ず○○町(チヤウ)と呼ぶ方針になっている。同時に、町をマチと読む場合は下級幕臣の組屋敷(今の公務員宿舎)などを、その組名をつけて呼ぶ時などに限られた(御納戸町・払方町など)
p250.「元」と「現在地名」との関係は、単に元地と新地(異動先)の区別に用いられた。一方、「本」と「新」の関係もあった。昔は米穀商を石屋といい、その石屋が集まって石町となる。その一部が神田に移されて新石町ができると、本家の石町は本石町となり、現在まで続いている。この場合の「本」と「新」、または「本」と「方位」(東西南北)を冠した町の関係は新旧二町の”親子関係”を示した
p253.「辰巳」は江戸城の南東にある繁華街深川の別名となり、同地の芸者は辰巳芸者の名で有名だった。同じく公認の遊郭吉原を城の北側の意味を込めて北国または北州といい、対する品川は南楼と呼ばれた
p256.江戸の武士の中で江戸生まれでないのは、参勤交代の大名の供をして国元から従ってきた下級武士だけで(実はこれが多かったのだが)、大名・旗本とその夫人たちは、生まれだけを考えればほとんどが江戸っ子だった。その一方で、日本橋界隈に店を構えるような商店の多くは、江戸店といわれる支店で、本店は伊勢や近江にあった。そして、このような大店では、経営者はもちろん配偶者も店員も、本店のある郷里から迎えるのが普通だった。江戸に住む富裕な町人層は、まず江戸っ子ではありえなかったのだ
p261.江戸は人口が増えて繁栄していったが、その反面で、火災、貧困、風俗などの都市問題が深刻になっていた。吉宗は、これを解決するために「享保の改革」を行い、各種の対策を実施した。飛鳥山の桜もこのとき改革の一環として植えられたものだ。その目的は、頽廃した風俗を是正し、市民に健全な娯楽を与えることにあった。こうして飛鳥山のほか御殿山、隅田川堤、中野、小金井など江戸近郊の各地に桜や桃を植えて行楽地をつくったのである
p267.東横線の「自由ヶ丘」駅は九品仏川の流域の湿地を埋め立てた場所である。なのに、この駅には丘の字がついている。実は、この「丘」あるいは「台」の字は、関東大震災後に東京近郊が急速に宅地化した時期に、各電鉄会社が駅名や開発団地名に愛用した文字だったのだ。だが自由ヶ丘駅(行政区画名は自由が丘)の例のように、それは必ずしも実際の地形を忠実に表現したものではなかった


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2009年06月20日

内田樹「終身雇用を死守しよう(編集長インタビュー)」日経ビジネス2009年6月8日号

主張は記憶に残らなかったけど、引証は記憶に残った

・エコというのは下手をするとファシズムに結びつく恐れがあります。第2次世界大戦の時期にドイツで興った青少年団のヒトラーユーゲントは、最初に加工食品や添加物に対する拒否から始まりました。ゲルマンの大地で育った無添加の食品を食べましょう、という運動が初期に見られたものです


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2009年06月12日

鈴木棟一「民主をまねて自民が大揺れ 世襲制限めぐる対立の行方(新・永田町の暗闘)」週刊ダイヤモンド2009/06/06

最近、気になる

・自らは秋田から集団就職列車で上野駅に着き、東武東上線の沿線のベニヤ工場で働き、法政大学の夜間部を苦学して出て、横浜市議を経てのし上がった立志伝中の人である。当選4回で総務相の要職にも就いた
・民主党の論客、篠原孝氏は長野リンゴ農家の出身で、京都大学法学部から農水官僚に。小選挙区での相手は小坂氏で、「1890年の第1回総選挙以来、120年間、小坂の名が絶えたことなし」の4代目である


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2009年06月09日

佐藤優「時間に対する考え方、活用法とは(知の技法 出世の作法)」週刊東洋経済2009.5.23

ほかの本でも同様のことを読んだことがある。ここでは、そういった事例を集めるために、引用した

ブルブリス元ロシア国務長官は初期エリツィン政権のブレーンで、ソ連崩壊のシナリオを描いた聡明な人物だ。睡眠時間は、筆者よりも短く、3時間くらいだった。ブルブリス邸の枕元、ソファのサイドテーブル、食卓などあちこちにメモ用紙と鉛筆が置かれていた。ブルブリスから筆者は、「就寝中や寝起き、あるいはぼんやりしているときに思いついたことをすぐにメモする習慣をつけておくといい。特に寝起きのときに、今までの既成概念にとらわれない独自の発想が出てくる。試してみろ」」と言われたので実践したが、確かに効果がある。問題は寝起きのもうろうとしたときに多くの着想が湧くので、それを十分に筆記することができないことだ。枕元での筆記に慣れてくると、寝起きの着想だけでなく、夢を記録することができるようになる。夢の記録を積み重ねると、自らが深層心理で何を望んでいるかも分析できるようになる


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2009年06月08日

木下晴弘「涙の数だけ大きくなれる!」フォレスト出版

書評や、この本の頭書きの推薦にあるように、泣きっぱなしとか、何度もゆっくりと読み返すとか、そういうことは自分にはなかった。それでもシンプルで力強い主張が印象的だった佳作。

p12.人が変わる瞬間というのは、そこに「涙」の存在があります。感動とともに、あふれた感情は自分を浄化していきます。しかし、多くの人はそうした感情を押し殺して生きているように思います
p29.「ただ、人間は欲が深いですよね。その時、その場所に立つと、もっと欲が出てくる。もちろん、欲求自体は悪いことではありませんよね。問題はそこからなのです。あとからわいてきた欲求がかなえられないからといって、なんて自分は不幸なんだろうと嘆いたり、なんてこの子はダメなんだろうと文句を言ったり、それでは目の前の幸せにも気づかなくなりますよね」
p76.「たとえば、それが吉野家というわけだろう。だからあのお金で、あの味のものが、あの短い待ち時間で食べられる。それが極めて有効な問題解決になるから、お前たちは行ってお金を払って食べるんだろ。もし誰かが自分の前にある大きな壁を取り払い、問題を解決してくれたら、お前たちはその人に何て言う?」
p92.驚いたことに、その佐賀北高校、試合中に相手チームを褒めるのです。例えば、相手がカーンとヒットを打ったとします。すると佐賀北の一塁手が、塁に立った相手走者に言うのです。「ナイスバッティング」。佐賀北と対戦して敗れたチームはみな佐賀北のファンになってしまったのです
p140.さて、生徒たちが両親にあてた手紙はどうするのか? 実はその日の深夜、生徒が寝た後で、先生たちは車で生徒の自宅に一番近い郵便局を回って、その手紙を投函していくのです。生徒たちが翌日帰宅するよりも早く、彼らの感謝の気持ちを両親に伝えるためです。その手紙には、生徒に内緒で速達の印が押されているのです。一刻も早く、彼らの自宅に届くように…
p154.「当たり前のことを当たり前と思えないほどの情熱でやる人たちには、そういう人たちのサークルがあって、つながりあってステージとして用意されている。当然、そういう人たちの人生は情熱的な人生であり、そこに触れた君たちも情熱的に生きることになる」
p169.私たちが何かの行動を起こした時に得られるものは「失敗」でも「成功」でもなく、「ある気づき」であるということです


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2009年06月01日

山口正人・豊田圭一「自分がいなくてもまわるチームをつくろう!」明日香出版社

だいたい、こういうテーマの本は読むようにしている。新しい発見はほとんどなかったりするが、それでも事例紹介などで使えるものを一つ見つけただけでも、読んだ価値はあったと思う

本著で紹介されている著者の開設するサイトで、著者の言うマニュアルの例を見た。かなり細部にわたるものであり、事例として参考になった

上席の仕事とは何か、ということを教えてくれる。いつまでもハンズオンでフロントエンドのビジネスをすることでは決してない。そしてプレイヤーとして優秀だった人が、コーチや監督としても優秀であるとは限らない

p12.どんなポジションで働いているにしろ、あなたの仕事は量ではなく質で評価されるはずです。たとえ、アルバイトや派遣社員のように時給換算で給料が得られるケースであっても、多くの場合、企業は「時間」ではなく「仕事の成果」への対価として給料を支払っているのではないでしょうか
p13.特にポジションがあがればあがるほど、その傾向は強くなってきます。んまぜなら、チームリーダーのような上に立つ人は、チーム(会社、事業部、部、課など)をまとめることで仕事の成果を出すという役割があり、自分ひとりの働きだけで評価されるわけではないからです
p14.マーケットが評価しているのは、企業がそのモノやサービスをつくるのに費やした時間に対してですか?そうではないですよね。マーケットが評価しているのは、あくまでそのモノやサービスを購入することで得られる価値に対してです
p20.「名選手、名監督にあらず」という言葉があるように、名監督(=リーダー)が必ずしも優れた選手である必要はありません。むしろ、野球やサッカーなどのプロスポーツチームの実績を見てみると、確率的には優れた選手でなかった人の方が名監督になっていると言えるかもしれません。ビジネスにおける組織(チーム)のリーダーもそれと同じで、自身がプレーヤーとして優れているというよりも、リーダーとしてのチームの力を最大限発揮させることが重要になってきます。極論を言ってしまえば、チームの力が最大限発揮できるのであれば、自分自身は何もしなくたっていいのです
p31.創造的破壊を繰り返し、組織が常に発展していくように行動することこそ、リーダーの役割ではないでしょうか。だって、リーダー以外のメンバーは自らが自らの仕事を壊すようなことはなかなかしませんから
p33.リーダーが集中するべきことは、なるべく早い段階で仕組みを作り、自分がいなくても事業がまわるようにすることだと思います。このことは、決して自分が楽になるためという意味ではなく、リーダーにはリーダーの役割があるだろうということです
p44.リーダー自身が残業をしないように意識することが大切な理由として、チームのメンバーにとっては、リーダーが残業をしているのに自分が先には帰りづらいということも上げられます。それに、リーダー自身が残業するような状況は一時的にはいいかもしれませんが、それが慢性化しているようであれば、仕事や組織のしくみそのものを見直す必要があるのではないでしょうか
p48.マニュアル化するのは、まさに「頭を使わずに業務をこなすため」と言えます。自分の頭で考えないといけない仕事もたくさんあれば、作業的なものもたくさんあるわけです。そして、それらの仕事は頭を使わずに効率的にこなす方が成果が得られることもあります
p49.会社としての仕事の進め方が確立されているのに、それを新しくは言ってきた社員が継承せずに、彼らが自分なりの工夫で仕事をやるというのでは、効率が悪いばかりか成果にもばらつきが出てきてしまいます。企業はチームとして最短距離で成果を出す必要があり、そのためにマニュアル化をすることが最も効率的なのです。マニュアルがあることで、最も効率の高い仕事の進め方ができるとすれば、それを活用しない理由がありません
p50.マニュアル化することのメリットをまとめてみると、次のようなものになります。・業務の流れが明確になり、誰でもその把握が可能になる。・業務をやる人が変わっても、同じクオリティーが保証される。・ムダな作業の発見や削除に繋がる。・教育時間の短縮およびトレーニング労力の軽減が図れる
p55.ブレストや雑談のようなミーティングの中から新しいアイデアが出てくることだってあります。その場合、例えばオフィスから外に出てカフェなどでお茶をしながらやってもいいでしょうし、そういう目的の飲み会をやってもいいかもしれません
p64.世の中には他人に仕事を任せられない人がいます。人に任せて仕事のクオリティーが落ちるのが嫌なのか、あるいは自分でやらないと気が済まないのかわかりませんが、仕事の出来る人でこの傾向を持っている人は、とてももったいないと思います。なぜなら、仕事の出来る人こそ、任せられることはなるべく任せて、もっと違う分野で能力を発揮する方がチームにとっても有効だからです。だから、任せることができるなら、全部任せるべきです
p117.「この仕事をしてください」と言われても、いったいどの位の時間で、どの位の量をこなさなければいけないのか、この仕事の目的は何なのか、誰と一緒に仕事をするのか、何かあった時には誰に相談すればよいのか、その仕事の優先順位はどうなっているのか等々、具体的な指示がなければ仕事というものは適切に進めることが出来ません
p126.マニュアルはそこに書いてることしか考えないような、柔軟性に欠けた人間を作り出すという結論に結びつけられてしまうようです。確かにマニュアルは完全なものではありません。しかし、それはどんな良い薬でも副作用のない薬はないことに似ています。そして、マニュアルはこの種の副作用を補ってあまりあるだけの効力もあるのです


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