2009年11月08日

原賀真紀子『「伝わる英語」習得術−理系の巨匠に学ぶ−』朝日新書

面白かった。勉強になるというよりも、参考になる。蘊蓄系の読み物としても楽しい

「英語を習得するのなら、自分は参考にならない」とか、自分の英語は下手だと卑下する言い方が、いかに多いことか。その下手か上手かを超えたところにツールとしての日本人の英語の本質があるように思う

見ていても、みな自分の都合のように解釈しているのだと思うこともある。それが自分に照らしても「これ、使える言い訳だな」として、メモを取っていたりするのが、人間だもの、と感じてしまう

p14.(きたやま)発表する1週間くらい前に、上司に相談に行ったんですよ。そうしたら、「冗談を3つ考えろ。それで笑わせることができたら、イギリスでは大成功なんだから」って言われましてね。要は、発表の中身なんかじゃないよ、言った冗談がウケるかどうかで決まるんだよ、と
p16.発表はコミュニケーションなんだから、補助器具をたくさん用意して、とにかく中身がよく相手に伝わるように表現するということです。資料を配る。スライドを用意する。今はパワーポイントがあるしね。ぼくは発表の前に資料を全部印刷しておいて、聞く人が100人いれば100人に配ります
p23.この国ではみんなの前ではっきりものを言ったって、よくなことはないんです。得することなんてないんです。むしろ、滅多なことは言わないほうがいい。だからね、小学校の1、2年生までは、「はい」「はい」ってにぎやかに手を挙げていた子どもが、3年生くらいになると喋らなくなるでしょ。あれはなぜかというと、「恥」をかくからですよ
p31.なぜアメリカであれほど多くの人が精神分析を受けていたのかというと、実は「本音」を喋りに行っていたのだと思いますよ。今でも精神療法や精神分析なしでは生きられないような人たちがアメリカの中産階級以上には結構たくさんいて、カウンセリングやセラピーに通っているわけだけど、いったい彼らはそこでなにを喋っているのかというと、日本人が温泉とか飲み屋に行ってぶちまけるような話をしているんですよ
p35.「裏」の付き合いをするには、みんなで一緒にカラオケに行くしかない。日本人は公的な場面で表と裏の両方をやることはできなくて、結局は「飲みに行きましょう」という話になってしまうんです。そういうの、外国の人たちは嫌がりますよね
p46.雄弁さが持つ「無意味さ」。まるで歌っているようで、それが評価されるんだよね。レトリックの中核にあるのが、要するにこれだと思う。飾るんだよ、言葉をね。韻を踏んだりして飾る。言葉を弄して、そのわりにはさほど多くのことは言っていない
p53.(小柴)1957年くらいだったかな、アメリカのシアトルで物理の国際学会があって、そのときに初めてソ連から大物が来た。これがもう、とんでもない英語でね。英語らしくない英語というか、英語に聞こえない英語。それでもその人がやっていた研究の内容がすごいから、アメリカ人もイギリス人もいちばん前に陣取って、一生懸命彼の話を聞いてたよ。こっちも想像力で聞いたね
p54.いちばん大事なのは、自分の言おうとしていることが、はたして価値のある内容なのかどうか。それだと思うよ
p58.いちばん得意だったのはね、パーティーでアメリカの奥さん連中に話すジョーク
p63.帰国を決めた第一の理由は、本物の日本の飯が食いたいということで、二番目の理由は、一研究者として仕事で勝負しているうちはいいけれど、管理職に就いて自分では研究の成果を上げられなくなって、そのぶん人事だとか予算だとかを決める会議に出なきゃならなくなって、議長になったりなんてことになると、こういうのはどうしたってぼくの英語じゃ駄目だよね
p70.人間の「認識能力」には、「受動的」なものと「能動的」なものと、はっきりと二種類あるんですよ。教室で教わったことを理解して、覚えて、筆記試験に書くというのは、じゅどうてきなにんしきのうりょく。だから、筆記試験でいくらいい点数を取ったとしても、なにをやろうとかどうやってやろうとか、自分で能動的に働きかける認識能力のない人間にとって、その知識は、使い道のない武器を持っているようなものなんですよ
p79.(養老)西洋の言葉はあくまでも『音声』が中心だけれども、日本語は『読み』が極めて重要な『視覚言語』だから、『読み』のために動員している脳のスペースが、多言語の人たちと比べると格段に広いんですよ
p80.わざわざ脳の二カ所を使ってこうした音訓読みのようなことをするのは、おそらく日本人だけでしょう。そこまで『読み』には大きなエネルギーを使っても、『話す』には重きが置かれることはなかったんです。その結果日本語では、『話し言葉』と『書き言葉』が、英語などに比べて大きく分離してしまったのではないでしょうか
p84.「言語」というのは、ある意味では非常に怖いものなんですよ。たとえば、なぜヒトラーは夜の八時以降じゃなきゃ演説をしなかったか。それは、そのほうが大衆がついてくることを知っていたからです。夜は、頭の中が誰でも同じような状態になりやすいからね
p87.動物には「絶対音感」があるんですよ。人間だって、赤ちゃんのときは誰でも絶対音感を持っている。ところが「言葉」を理解するためには、絶対音感は不利なんです。お父さんが低い声で言ったこととお母さんが高い声で言ったことが同じ言葉なら、同じに聞こえないと困るでしょ。人は教育によって、絶対音感を失っていくんです。教育は言葉を使いますからね
p92.言語能力は間違いなく女性のほうが高い
p94.要するに、日本人は総合点で見ると運動が苦手なんです。特にそういう外国語を喋るような言語運動はね。中国語と比べても、言語運動のウェイトがまったく違うでしょ
p99.自分自身の文化に対して問題が生じてくる。本格的に練習すると、日本人じゃなくなっちゃうんですよ。「国際化、国際化」と一口に言いますが、「冗談じゃねぇよ、なにがインターナショナルだよ」と思うこと、あるでしょ
p103.そもそも日本人がバイリンガルになることと、ヨーロッパの人が同じ西洋の言語を2つも3つも話せるようになることは、全然違うんです。彼らにとっては、日本語で言えば東北弁とか九州弁などの方言を話しているようなものですよ。イタリア語とスペイン語なんて、お互いに自分の言葉で喋っていても不自由なくわかるみたいです。そうするとそれは、バイリンガルとは全然違う。でも、日本語と英語というのは、脳にものすごく大きな負担をかけているはずなんです。ヨーロッパの人が複数の言語を喋るようなことを、日本人は簡単には真似できないのです
p104.大学も1年生の最初の3カ月は、ほかのことをやらせずに英語だけを集中的にやらせて叩き込んだらいい。かなり力がつくと思いますよ。4年間も大学にいるうちの、たった3カ月でいいんだから。それでそのまま夏休みに1カ月くらい外国に行かせちゃう。そのくらいやらないと、日本人の英語は使い物にならないですよ
p114.文科系の本を英語に訳してみることを勧めるんです。やってみれば途端に、「客観性を持つべきだ」ということがわかりますから。若いときにオーストラリアでよく言われたんです。「おまえはエクスキューズが多い」って。向こうの文化だと、言い訳なんて言う必要がないんですよね。行為の「結果」が重要なんですから
p115.ロンドンの博物館に行くと、仕事をするときの「機能性」が日本人とは違うなと思いますね。たとえばキューガーデンでは世界中の博物館と標本のやりとりをしていて、どこにどういう標本を貸し出した、どこからどういう標本を借りているといった記録を、郵便局みたいなオフィスで管理しているのですが、それをおばさんがたった2人でやっているんですよ。さすがは近代郵便制度発祥の地だと驚きました。要するに、イギリスでは個人がそういう機能をきちんと果たせる、ということなんです。それに比べて、日本人はどうもそういうことが上手にできませんね。ある意味、機能性がはっきりしていないからでしょう。日本ではそれよりもほかのことが優先するでしょ。お付き合いとかご挨拶とか
『第七の封印』という、ものすごく抽象的な映画だったんです。映画館を出たら、スリランカの大学院生が「なんだあの映画は。なんにもわからん」と言い始めた。そうしたら、それほど頭脳明晰とは思わなかったユダヤ系の女の子が、一生懸命解説をするんですよ。あそこはこうで、ここはああで、と。ぼくはそのやりとりを見ながら、自分と西洋の人たちとは文化がまったく違うと思いましたね
p141.(日野原)講演というのは、はじめにユーモアでも言って観衆の気持ちをとらえることが必要です。そうすると聞いている人の目が輝く。そういうのを「話術」というのかもしれないけど、ぼくは話術というより「雰囲気」だと思う。聞く人と目が合うと、喋っているこちらも、とても楽しくてやり甲斐があるからね
p157.そういうときはね、少し間を置いて、”I don't think I know."って言うといいんです。こういうふうに言う努力をすると、英語は上手になる。ストレートな言い方ではなくて、クッションを1つ置いて、柔らかく
p160.戦地に行ったら後ろから「日野原っ、前進しろ」とか言われるわけでしょ。「君っ、前進しろ」じゃ駄目だもの。誰が呼ばれたかわからない。だから軍人は、部下の名前をものすごくよく覚える。それと同じように、アメリカでは一般的に人の名前を覚えようと努力するね
p167.(海堂)残念ながら、ぼくではこの本のお役に立てないのではないかと思いますよ。アンチテーゼみたいな話になっちゃいますから。ぼくは基本的に、英語なんか喋れなくても大丈夫だと思っているんです。むしろそこまで腹をくくることが、上達のためには必要かもしれない
p177.伝えたいことがあれば、必要な単語は自然と入ってきます。「英語を話す」ことよりも、「話す内容」を確立することのほうが大事だと思います
p180."I'm not sure, but I think..." これを言っているあいだに心を落ち着けて、時間を稼ぐんです。で、相手の顔を見ながら、「あなたの意見はもっともで、深く検討する余地がある」というようなことを伝える。これは特に、ディスカッションまで発展しなかったときなんかにも使えますね。いざとなればこれを言えばいいと思っていると、それすらも言わないで済むこともある
p185.表面上はお互いにっこり笑って談笑しながら、机の下では舷舷相摩する
p198.(隈)講演のときもそうだけど、日本ではわりと大事なことはスキップしてますね。「なにを今さらそんな当たり前のことを言ってるんだ」と思われてしまう可能性だってある。だから、意外と大事なことなんだけど、それをあえて日本語では話さないということはよくあります。いちばん大事なことは言わないで、「うん。だよね、だよね」「だからなんだよね」という感じでコミュニケーションをしていることが多いですよね。肝心の「だから」のところを話さないで
p204.もう一つ、ぼくがプレゼンのときに心がけているのは「歴史観」です。たとえばヨーロッパでは、「歴史」というのは非常に大切なんです。だから、彼らの歴史を踏まえて自分はこういうことをやっている、というのを示すように心がけています。そういう歴史観を持っているかどうかは、ものすごく重要なんですよ
p228.フランク・ロイド・ライトは雄弁で、「建築は有機的であるべきだ」という自分の考えを積極的に発信した建築家なんですが、あるときラジオ放送でライトが話すのを聞いて、すぐに仕事を頼んできた人がいたそうです。作品のビジュアルを1つも見たことがないのに、ライトに頼んできたのだそうです。それくらいライトの話には説得力があったのでしょう


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2009年11月03日

ひすいこたろう『心にズドン!と響く「運命」の言葉』王様文庫

ガンジーのこの言葉って好きなんだよなあ。英語で

Good travels at a snail's pace.

でいいのかな

なんか、このメモを見ても、自分の心境というか、読む人によって、汲み取る物が違うんだろうなあ、と思わせられる

あと、タイトルが羨ましい。「心にズドン」で検索すると、この本しか引っ掛かってこない

p21.「お前はいつもそこで何をしてるんだ!? 見せろ!」トレーラーの中にはなんと、トレーニングマシンがズラリと並んでいました。シューマッハは、ミーティングの後、一人で体を鍛えていたのです。そのとき、シューマッハはこう言いました。「俺はフェラーリを世界一にする」チームのメンバーは何も言えませんでした。次の人から、チームフェラーリは変わりました。「何が何でも、シューマッハを世界一にしよう」を合言葉に、チーム一丸となったのです。それは、チームだけにとどまらず、フェラーリ全社員にもおよびました
p25.ピカソは1日5作品以上のペースで書き続けていたことがわかります。心理学博士の小林正観先生から、「天才は数」と教わりました
p41.「確信を持て、いや、確信があるように振る舞え。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる」ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
p81.人からもらった気持ちやプレゼントは心にガツンと響きます。同じ物でも、ものすごく効きます。つまり、人が『持っている力』とは、自分を幸せにする力ではなく、『他人を幸せにする力』なんです
p94.アニメ「アルプスの少女ハイジ」に出てくるワンシーンで、ハイジがアルムじいさんにこう質問します。「おじいちゃん。夕焼けは、なぜ、こんなに美しいの?」アルムじいさんの答えはこうです。「人間であろうと、何であろうと、お別れするときが一番美しいんだ。いま、太陽がね、地球からお別れをしているから、こんなにも、人の心を打つんだよ」
p101.すぐれた魂ほど、大きく悩む。坂口安吾
p115.ないものを嘆くな、あるものを活かせ。松下幸之助
p115.青がないときは赤を使えばいい。ピカソ
p116.不足を不足とするは、わびにあらず。千宗旦
p152.アートの世界というのは、ある瞬間にものすごくとんでもなく飛躍するの。なぜかと言われても、何も、誰もわからない。だけど飛躍する作家としない作家がいる。そこなんだ。飛躍するときは、破れかぶれなんですよ。池田満寿夫
p198.善きことは、カタツムリの速度で動く。マハトマ・ガンジー
p202.雨だれが石を穿つのは、激しく落ちるからではなく、何度も落ちるからだ。ルクレティウス
p214.チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。本多宗一郎
p221.見えないところをきれいにすると、見えるところが光りだす。松下幸之助
p231.「あなたが美しいのは、愛されようとするときより、愛するとき」聖書
p236.晴れの日は枝が伸びる。雨の日は根が伸びる。福島正伸
p241.「何によって人に憶えられたいか」を自らに問い続ける。ピーター・ドラッカー
p248.「失敗は小さな成功」菅野一勢


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2009年11月01日

佐々木常夫「自分を大切にして自分のために働こう(ワークライフバランスを実現する仕事術)」週刊東洋経済2009.10.17

著者の主張というのは同意するところが多い。実践してきて、また今後は新たに実践しようと思うものばかりだ

実は、ワークライフバランスという言葉は嫌いだ。バランスを取るというのが、何も言ってないように思われるから

むしろ、プライベート重視とか、仕事人間!とか言い切ってもらう方がよほどいい。あるいは、どうしても各論になるのではないか

夜の残業はしないけど朝はすごく早い、しかも朝残業を敢然としてチャージする、とか。ダラダラで済まんけどリモートアクセスで自宅からもいつも仕事のことは考えているんだ、人間はシングルタスクぢゃないよ。とかね

・自分の幸せのために生き、働くのだが、そうであるならばどのような生き方をすればいいのか。それは周囲の人たちを大切にすることである。周囲の人たちを大切にしているとその人たちから評価され、信頼され、あの人と一緒にいたいということになる。すなわち人を大切にすることが自分の幸せに直結してくるのである。他人を邪険に扱ったり、無視したりする人は、結局自分を大切にしない人なのだ。そして自分を大切にする人は健康に気をつけ、長時間労働など知性のない仕事の仕方はしないものだ。やたらがむしゃらに仕事をする人は結局身体を傷め、病気になったり、若くして死んだりする。そんなことになっても、会社も他人も面倒を見てくれるわけではない。自業自得とひややかに無視されるだけだ。自分の身は自分で守らなくてはならない。自分を大切にする人は、決して会社の仕事一本の生き方はしない。仕事、仕事といっても会社を辞めたら仕事はなくなる。一方、家族とは一生の付き合いになる。その家族とはしっかりした信頼関係を築いていかなくてはならない。それが自分の幸せのためにもなる


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2009年10月31日

佐藤優「筆者自身の効率的な時間の使い方(知の技法 出世の作法)」週刊東洋経済2009.10.17

確か、この連載で筆者が、適切な睡眠時間は人によって決まっているので、無理に短時間睡眠にしないほうがいい、と言っているそばから、自分の睡眠時間が短いという話をしていてモヤモヤ感

誰が文書を書いたかを見分ける技法がある。それは読点の打ち方だ。読点には個性が表れる。よく会員制雑誌に新聞記者が匿名で、暴露記事を掲載することがあるが、読点の癖をチェックすると、かなりの確率で著者を確定できる。いったんついた読点の癖は、なかなか直らないのである


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2009年10月14日

櫻井よしこほか「特別鼎談 住民が幸せになるための地方自治体改革の正攻法」週刊ダイヤモンド2009/04/18

前矢祭町長と杉並区長との鼎談。かなり率直な発言が相次ぐ。やっぱり、単純に報道だけで矢祭町を知ったつもりになるのでなく、本人の考え方を直接話してもらうのがいいと思う。しかし、そういうことも、今回の記事のような機会がなければ触れることがなかったのかもしれない

山田
・杉並区の職員は生涯賃金で3億円を超えています
・公務員というのは、杉並区もたぶん同じだろうと思うけど、民間企業なら1人ですます仕事を、3.5人くらいでやるんですよ。そのうちの0.5人は何かといえば、安全確保という部分で、必ず必要なのですね。だから、それを1.5人にしようというのが私の考えでした

根本
・驚いたことに、私が辞めた途端に、子どもたちを午後3時で帰すかたちに戻した。職員が夕方5時半に帰るためです
・矢祭町は「合併しない宣言」をしました。理由は、それまで一生懸命に頑張ってきたからなのです。福島県には90の自治体があって、かつての矢祭町は、財政サービス指数などすべての数値が下から10番目くらいでした。しかし私どもはそれではいけないと奮起して、一生懸命頑張りすべて上位になった。一方、近隣の自治体は、水道普及も道路や田畑の整備も遅れていて、利用料金も高かった。そういう町村と合併してしまうと、それまでの苦労が水の泡になるから、合併しないと宣言したのです


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2009年10月12日

佐々木常夫『「捨てる仕事」を決める――出ない、会わない、読まない(ワークライフバランスを実現する仕事術)』週刊東洋経済2009.6.13

今日はone by oneで

・出なくて済む会議はできるだけ出ないようにしてきた。組織横断的会議に、自分と同じ組織の人が2人も3人も出席するときは、自分は欠席し、出席した人に後から結果を聞くことで、「会議時間をいただく」ことができる。あまり出たくない会議だが、どうしても出なくてはならない場合、私はいつも自分の仕事を持ち込んで、アルバイトをしていた

問題なのは、1.会議においてのみ重要な情報がしかも口頭で伝えられること、そして、2.その会議に代表として出席した人間が内容をしかるべき人員に伝えないかまたは小出しにすることで自分の実質的には大したことのない権力の源泉としていること、さらには、3.そういった情報制限的な会議に限定的に出席を招待されることがステータスを示すカルチャーであること、この3点である。このため自ら会議に出席し、第3の観点を押さえた上で、1倍の速度をもって会議の内容を理解しなければならず、その一方で第1および第2の観点からのアンチテーゼとして、会議の内容を詳らかに活字化した上で完全な形で関係者に開示する。そんな闘争らしきことをまずは虚しく続けていたりする。こういうことはブレずに続けていればいつか世論が変わるときが来ると、小泉純一郎をイメージしながら只管打坐するのだ

・アポイントをとって私のところに来てくれるケースで、3-4人で来るのだが、その中に最初から最後まで一言も話さない人がいた。「いったいこの人は何のためについてきたのだろう?」と不思議で仕方がない。先日も「効率的な仕事の進め方」について社員向けの講演をしてほしいと依頼してきた会社があったが、その打ち合わせのために、なんと5人もが来社して、びっくりした。講演依頼のためなら、せいぜい2人がいいところではないか? そのような会社には、きっと"効率化のネタ"が山ほどあるに違いない

会議で話さない人のなかには、能力的に話ができない人がいる。また話すためでなく、聞くために来る場合がある。1人でないというのは、証人という価値としてよくわかる。それを超える人数である場合、経験的には、将来のための経験として育成的観点から同席させる場合、または、役職のある人が同席しないのはおかしいから目付役などの適当な役回りで立場上来るということがある。前者は若者であり、後者は老人である。問題なのは、こうやって同席で直接聞かせることでしか経験を分かち合うことできない、という言語能力または忍耐力の欠如。簡単にいうと、メモを作らない。だから、こういう場合に丁寧に話をしても、目の前の人間にしか伝わらないと考えても、そう間違いではない

・都内の会社や団体だと、ほとんどが事前説明に来る。しかし、わざわざ訪問しなくても、メールを使って対応すればよいのではないか? しっかりと要件を伝えるメールを作成するのに、30分ほど時間をとられるかもしれないが、そのほうがずっと効率的だ

わざわざ訪問に来るということは、先方の戦略の可能性がある。切り口としては、1.些細なことでも会うことで気に入ってもらう熟知の法則。これは筆者のような合理的な人間には訴えにくい。2.メールなど文書で示すことは情報を整理して保存容易な形で渡しきることであり、熟知の法則を使いたい営業サイドとしては今後に繋がる飯の種が少ないということ。あ、1.と2.って同じことだ。3.ずっと自分の職場にいると辛いので気分転換に外出しただけだ、訪問先の様子も見たいし。私の場合には、会議となった場合にもこちら側で嫌になるほどノートPCなどでメモをとるのであり、また今後の連絡でこちら側からはメールになるので、無効化する。3.についてもわからないではないが、もっとストレートに気分転換やお外の経験しようぜ

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2009年10月11日

ロバート・フェルドマン「著名エコノミストが教える1分間プレゼン力の養成法(特集 最強のレバレッジ勉強法)」週刊ダイヤモンド2008/11/29

自分ブランドの作り方として、外見にワンポイント、アクセントをつける。こういうことをするかどうか

例えば、自分は財布は札やカードなどのためのもののほかに、小銭専用のものを使っている。これはLeSportsacのキーコインポーチというやつで、柄がキレイなので、特に買い物の小銭の支払いでこのポーチを出すと驚かれることがある。同じことをしているのは見たことがない。人の支払いを自分が目撃する機会もないのだろうから、結構いるのかもしれないが。私にはあまりいるようには見えない

・プレゼン力の第一は、自分をブランディングすることだ。私は2年ほど前から仕事のときには蝶ネクタイを締めるようになった。きっかけはほんの思いつきだったのだが、蝶ネクタイをしていると会う人がなんとなく明るい感じになり、私の話を素直に受け止めてくれる。それで蝶ネクタイを締めることにした。今では蝶ネクタイといえば「エコノミストのフェルドマン」というイメージが定着し、私を見れば誰でも「理論と数字で政治経済を語る人」を連想するようになってきたように思われる。ここまでブランディングができれば、会う前から相手は私の話を聞く価値があるかを判断してくれるだろう
・顧客に会うのが仕事のビジネスマンなら、まずは相手に不快感を与えないように身だしなみに気を遣い、話すときの目線にまで気を配ること


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2009年10月06日

池田光史ほか「失業、減給時代を、どう生き抜くか(特集 大失業・減給危機)」週刊ダイヤモンド2009/05/16

ちょっと古くなった雑誌から

そのリクルートコスモスが現在かなり危ない、外資系や新興企業もかなり妖しい状態というのも感慨深い

さすがに飲み会に積極的に参加、というのはやだな。あと、総合力を捨てて専門に特化するというのも、少し特攻隊のようなイメージがあるな。そこまで自分を捨てる気が起きないのも事実

外資系や新興企業ほど、人事管理はおかしいとは首肯する。結局、上司の靴を喜んで舐められるかどうかだ

・リクルートコスモスで人事部に籍を置き、現在は経営コンサルタントの今野誠一氏のいう、リストラの対象とならないようにするために押さえておく点。1.上司を中心とした多層的な関係の中に入る。上司の同僚や同期、その直属の上司などと良好な関係をつくることで、自分の評判や地位を相対的に上げていく。2.部門の壁を越えて活動する。他部署の実力者に力を認められれば、リストラの人選の際、「彼は残したほうがいい」と救済の手を伸ばしてくれる可能性が出る。3.提案や発言を多くする。同僚の評価が高まれば、たとえ上司の評価が低くても、簡単にはリストラのリストに載せられない。4.飲み会などの場には積極的に参加する。部内でのイベントや上司と飲みに行く機会には、積極的に参加する。前向きになれなくても、なにがなんでも生き残りたいと考えるなら、2次会、3次会にも参加する
・外資系企業にも勤務経験のある経営コンサルタントの中川洋氏は語る。「外資系や新興企業などでの人事管理は、合理的と思われるかもしれないが、必ずしもそうとはいえない。日頃の付き合いやコミュニケーションが、いざというときに重要になる」という。もりろん、ビジネスは業績を上げてこそであるから、個人の能力の維持・向上努力は不可欠だ。その場合でも、生き残りという観点からすると、「総合力よりは、代替がきかない能力こそが重要」と中川氏は強調する。リストラが始まる緊急時に、最後までリストラ対象にならない人材とは、「その部署には絶対不可欠な、上司が手放したくない人物」になる


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2009年10月04日

飯泉梓「セブンが認めた総菜のプロ ヤマザキ(食品製造業) 現場力」日経ビジネス2009年9月21日号

プロが買っていくというのがスゴいね。この記事の前からセブンのこのシリーズは気になっていて、ポテトサラダとかひじきの煮物とか買ってた。だって、同じ総菜コーナーに発泡スチロールのトレイに入って、ラップで包んであるポテトサラダのほうが高くて日持ちがしないのだ。衛生面でもレトルトでパックされているほうが気に入る

・もう1つの理由が、長期保存が可能なことだ。ポテトサラダは日持ちしにくい総菜の1つ。時間の経過に伴い、マヨネーズとジャガイモのでんぷん質が分離する場合があるからだ。一方、セブンプレミアムのポテトサラダは、保存料を使っていないにもかかわらず、賞味期間が冷蔵保存で約1カ月。調理方法や配合の工夫によって、ポテトサラダ特有のホクホクとした食感を保っている。「夕食のおかずとしてだけでなく、弁当に入れるために一度に何袋も買いだめしていく主婦が多い。店でお通しとして出すからと、まとめ買いする居酒屋店主もいる」(セブン&アイグループの食品スーパー店員)
・ヤマザキが材料を選ぶ際に重視する条件の1つが、原産地と類似した条件の場所で栽培されているかということだ。原産地はその野菜にとって最も良い条件の場所であるはず。原産地に気候などが類似した場所で生産すれば病害虫の被害も少なく、農薬散布の頻度も抑えられ、それだけおいしい野菜が手に入ると考えた。ジャガイモの場合、原産地はアンデス山脈。ヤマザキの社員たちは、アンデス山脈の降水量、日射量、気温などさまざまなデータを考慮して、生産地を探し回った


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2009年09月30日

マーク・ピーターセン「日本人の英語」岩波新書

久しぶりに岩波新書を読んだ。古い本

不定冠詞のaとそれにつけられたglassという名詞、というのが目から鱗。また、乗り物に乗るときのonとinの違い、など興味深い説明が多い

p13.ちゃんとした意味を持っていたのは、"a second glass of the old Madeira"のglassではなく、そのaである。そして、glassという名詞の意味は不定冠詞のaに「つけられた」ことによって決まってくる。あるいは、これは文脈にもよるが、"a glass"に対して、たとえば、定冠詞の"the glass"は「例の一杯」という意味に、定冠詞の"glass"は「硝子」という意味になることもある
p16.本当は、aという言葉で意味的カテゴリーをたててから、それに適切な名詞を探していって、結局manに決めるのが英語の思考プロセスであるので、英語の「冠詞用法」を理解するためには、manにaをつけるという類の考え方は役に立たないであろう。むしろ、その理解を妨げる可能性が強いような気がする
p29.翻訳するとき、名詞の使い方の問題だけに限れば、英語から日本語に行くより、日本語から英語に行く方がよほど難しいような気がする
「『ない』は『何もない』という意味ではないか、『ゼロ』ではないか、『なさ』には度合いがあるか、『なさすぎる』なんて、どうしても私に納得できないことである。英語は決してそういう非論理的な言い方を許さない」
p45.冷蔵庫というものは、どの家庭にでもあるというふうに意識されるが、電子レンジはまだそこまで普及していない。her microwaveのherの単なる所有関係に対して、the freezerのtheは、the freezer that is the expected pert of any homeという意味を与える
p53.このセンテンスのtheの意味的カテゴリーに入っているbeginningやheaven、earthも、語り手と聞き手の間の相互理解では、3つともそれぞれ「一つしかないもの」であるので、それ以上限定するまでもなく、3つともそのままtheのカテゴリーに入ってもよいのである
p70.これは乗る人と乗り物の運転との意識の上での距離の問題である。例えば、airplane、ship、busなどの場合、乗る人は一人の乗客にすぎず、乗り物の運転に特に何の影響も及ぼさず、ただ貨物のように「運ばれている」感じが強い。それに反して、car、taxt、private、aircraftなどに乗せてもらう場合、自分とその運転との距離は意識の上で全然違うものである。単に「運ばれる」のではない。乗り物の運転と自分との間につながりがいくらか感じられるために、これらに乗っている状態はonではなく、"in"となる
p73.outというのは三次元関係を表し、動詞に「立体感のあるものの中から外へ」という意味を与える。それに対して、offというのは二次元関係を表し、動詞に「あるものの表面から離れて」という意味を与えるわけである
p81.come over (to my house)は単なる(come to my house)よりずいぶん柔らかい、リラックスした、インフォーマルでフレンドリーな印象を与える。come aroundもまさにそうであるがcome overのやや「一直線」的な感じに対して、come aroundでは、いくらか「回ってくる」ような、「ついでによる」ような気持ちが入っているので、謙遜な雰囲気がわずかに出てくるのである
p100.どうして英語と日本語との間にこういう違いが出てくるかというと、いつも「時」のことばかり気にする英語の特徴に対して、日本語は、「時」事態に関して特に気にせず、いつも「相」(aspect)のことばかり気にするからである。それは簡単にいいかえれば、英語にとっては行動と状態の時(the timing fo the action or condition)がもっとも大事であるが、日本語にとっては行動と状態の完了の程度(the degree of completion of the action or condition)がもっとも大事なのである
p114.By the time I got to Phoenix, she had cried for two hours straight. She has cried for two hours altogether.


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